はじめに

2025 3/1から3/7までスペインバルセロナを訪問しました。

バルセロナは今回4度めの訪問となりますが様々な新しい発見がありました。

このブログでは、私が今回訪問したバルセロナのお勧めの場所を、私自身が撮影した写真と共に順番にご紹介させて頂きます。

今後、ご旅行やご出張でバルセロナを訪問する予定のある方で、何処へ行ったら良いか考えている方、少し迷っている方々のお役に立てればと思っています。

今回、新しい観光名所もご紹介させていただきます。スペイン最古のワイナリー「コドルニウ」は初めての紹介となります。

バルセロナへの出発準備

まずは出発前の準備として現地で役に立つ簡単なスペイン語をご紹介します。

バルセロナへ行かれる前に、簡単なスペイン語を覚えておく事をおすすめします。

とくにレストランでお勘定をするとき、トイレに行きたいときのフレーズは覚えておくと大変便利な、おすすめの言葉をいくつかご紹介します。

こんにちは hola (オラ )

ありがとう。gracias (グラシアス )

お勘定をお願いします。La cuenta, por favor (ラクエンタ ポルファボール)

ポルファボールは英語のpleaseと同じ意味で相手に何かお願いするときの言葉で、pleaseは言葉の前にくることもありますが、スペイン語では最後に添える言葉です。

トイレはどこですか?Dónde está el baño (ドンデエスタエルバーニョ)バーニョはトイレです。

トイレを探したい時はバーニョだけでも十分通じます。

バルセロナはカタルーニャ地方にありますが、この地方にはカタルーニャ語も使われています。

「bon dia (ボンディア / おはよう、こんにちは)」

「bon profit (ボンプロフィット / 召し上がれ)」

などを使うとバルセロナの方はとても喜ぶと思います。是非、バルセロナで試してみて下さい。

今後もこの旅で知ったこと、皆さんへのアドバイスを追記させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

スペイン最古のワイナリー「コドルニウ」

スペイン最古のワイナリー「コドルニウ」の記事はこのブログの後半でご紹介しましたが、先にご覧になりたい方は下の「スペイン最古のワイナリー「コドルニウ」で試飲」をクリック下さい。コドルニウの解説へ飛びます。

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出発 – 羽田からバルセロナへの空の旅

今回の私のバルセロナへの空の旅をご紹介します。2月28日(金)に羽田昼発のルフトハンザ便でミュンヘン経由バルセロナ行きのフライトに乗る予定でしたが、2月26日(水)朝、ルフトハンザ航空からメールで連絡がありストライキの為、Air Chinaとオーストリア航空の代替便を用意したとの連絡が入りました。

代替便は2月28日6PM発のAir China。まずは北京へ、そして北京からウィーンへ、そしてウィーンからはオーストリア航空でバルセロナへ飛びました。

元のルフトハンザ便は2月28日深夜バルセロナ着でしたが、乗り継ぎ便は3月1日朝着でした。

とにかくバルセロナに無事到着してほっとしました。

こちらはAir Chinaの機体です。

こちらは搭乗後、Air Chinaで出てきた機内での夕食です。

北京到着は9:20PM。到着後はこちらのAir Chinaのラウンジで5時間近く過ごしました。北京発は3:00AM深夜です。

ようやく北京発3:00am発のウイーン行きのフライトの搭乗Gate E09を知らせる画面が現れました。

こちらはウイーン到着前に出てきたAir Chinaの朝食。中国式のお粥を頂きました。

ウイーン到着は6:20am 、ウイーン発は7:00am 乗り継ぎ時間はわずか40分ギリギリでした。EUの通関を通過した後、オーストリア航空便のGateまで走りました。何とか夜明けのウイーン空港でバルセロナ行きのオーストリア航空に乗ることができました。

オーストリア航空機に搭乗!

ウイーンからバルセロナは2時間の空の旅ですので機内食はなく飲み物だけでした。

9:20am バルセロナに到着しました。

朝なのでバルセロナ空港の人はまばらです。

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バルセロナのホテル

バルセロナではHotel Turinにチェックインしました。部屋はご覧の通りこじんまりしていますがとてもきれいで朝食もついています。

バルセロナ空港へ行くバスの発着場所があるカタルーニャ広場から徒歩6分、バルセロナのどこへ行くにも大変便利なホテルでおすすめです。

朝食のバフェはオレンジジュース、コーヒー、紅茶、スクランブルエッグ、ベーコン、ソーセージ、ハム、チーズ、ヨーグルト、トースト、クロアッサン、何でも好きなものを取って食べれます。こちらは私のこのホテル一泊後の最初の朝食の写真。これにトーストを2枚頂きました。

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スペインのみかん

スペインで栽培されるマンダリンは、日本で一般的に食べられるみかんと見た目や味、性質が非常に似ています。バルセロナのスーパーで最初に見つけたときはみかんそのものかと思いました。

みかんとほぼ同じ大きさで、種がなく、皮もむきやすい。みかん同様に食べれてとても美味しくてお安いので、バルセロナへ行かれる方におすすめします。

スペイン語ではMandarina(マンダリーナ)という名前で、バルセロナでは10月から3月までスーパーで売っています。

場所によりますが、バルセロナでは特に果物が安く、Mandarinaはバルセロナのスーパーで買えば日本で買うみかんの半額以下です。

以下の写真に値札がありますがMandarinaは500gで2.15ユーロ(約350円)、1.5kgで約1,000円です

私はバルセロナへ1週間ほど行く時はかならずスーパーでこのMandarinaを1.5kg買います。一人では食べきれませんので一緒に行った方におすそ分けします。

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バルセロナの薬屋さん

バルセロナの街を歩いているとところどころにこの写真にある緑と赤の十字、そして赤の羽のマークを見かけると思います。これは薬局(FARMACIA)の看板です。

海外で具合が悪くなると心配ですが、このマークを見つけたら安心ですね。ここで薬を処方してくれます。

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世界最大のアパレルメーカーZARA

皆さん世界最大のアパレルメーカーはどこの国の会社かご存じでしょうか?世界最大のアパレルメーカーZARAはスペイン本社の会社です。

スペインのガルシア地方のア・コルーニャという町でZARA一号店ができたのは1975年ですから今から50年も前のことです。

日本への上陸は1997年で1998年に渋谷にZARA一号店がオープンしました。いまでは日本全国になんと67店舗もあります。

この写真はZARAのカタルーニャ広場店の入り口です。

店内はこんな感じです。自動レジも普通のレジもあり、日本のユニクロとそっくりです。

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サグラダファミリアお勧めの撮影場所と2つの塔

バルセロナへいかれる方はサグラダファミリアは見逃せませんが、このブログではサクラダファミリアの一番よい撮影場所と2つの塔についてアドバイスさせて頂きます。

サグラダファミリアの一番よい撮影場所はどこでしょう?

サグラダファミリアは近くから写真を撮ろうとするとあまりにも大きいのでなかなか全体が入った写真が撮れませんが、一番きれいな写真が撮れる場所があります。それは正面の入り口から離れた緑色の池の端が一番きれいにサグラダファミリア全体の写真が撮れる場所です。今回私がそこから撮った写真をご紹介します。ご覧の通り、緑色の池をはさんでサグラダファミリア全体がきれいに一枚の写真に納まります。

サグラダファミリアの二つの塔はどう違うのでしょう?

サグラダファミリアには『生誕のファサードの塔』と『受難のファサードの塔』の二つ塔があります。

2024年に私が登ったのは『受難のファサードの塔』でした。『受難のファサード』は一般入場口から反対側、出口に近い場所にエレベーター乗り場があります。

一方、『生誕のファサード』は一般入り口入ってすぐ右にあります。今回はこちらに登りました。

『生誕のファサード』を登るとこんな景色が広がっています。

下を見下ろすと先に書きましたサクラダファミリアの一番よい撮影場所のある緑色の池が見えます。

そして、このような建築現場も見ることができます。

昨年上った『受難のファサードの塔』も今回上った『生誕のファサード』も下へ降りるエレベーターはなく、以下のらせん階段を下っていきます。両方の塔まったく同じつくりでした。昼間でも足元が暗くなっている場所がありますので、手すりにつかまりながら気をつけて降りて行ってください。

長いらせん階段を降りるとここに出ます。

サグラダファミリアは何度入っても荘厳な雰囲気に圧倒されます。そしてこの天井の見事な造形、美しいステンドグラスは見逃せません。いずれも今回新たに私が撮影した写真です。

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カテドラル

バルセロナ旧市街に位置しているカテドラルはゴシック地区の象徴でもあり、見逃せない場所です。バルセロナ守護聖人、サンタ・エウラリアが眠っている大聖堂です

カテドラルの正門は19世紀に建てられましたが、設計図は14世紀に描かれたものです。一番高い塔(聖ヘレナの塔)は高さ 70 メートルまで達します。

1997年にこのカテドラルでクリスティーナ王女(スペイン王フアン・カルロス1世の次女)の結婚式、2010年にジョアン・アントニ・サマランチ(国際オリンピック委員会の元会長)のお葬式が行われたそうです。

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バルセロナ凱旋門

バルセロナを訪れたら、この是非、このバルセロナ凱旋門を訪れてください。

この凱旋門は1888年に開催されたバルセロナ万博のために建設され、万博のメインエントランスとして使用されました。

パリの凱旋門と比較すると少々小ぶりですが、間近で見ると、ネオ・ムデハル様式とモダニズム様式の両方を反映した彫刻的なレリーフや装飾のディテールで飾られた素晴らしいレンガ造りの建物です。

凱旋門は、活気に満ちた賑やかな雰囲気に包まれています。リュイス・カンパニーズ通りの端に位置しています。

バルセロナ凱旋門は、シウタデラ公園へと続くヤシの木が並ぶ大きな歩行者専用道路に続いていて、ストリートアーティストのパフォーマンス、子供たちの風船売り、地元の人々や観光客が散歩する姿を見ながら、緑豊かな公園エリアまで歩くことができます。

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グエル公園

バルセロナを訪れる人にとってグエル公園はサグラダファミリアに次ぐ必見の場所です。

グエル公園はいつも混在していて、30分ごとに400人という人数制限がありそうですのでネットで事前予約を入れて行かれることをお勧めします。特に週末の予約は余裕をもって予約することをおすすめします。

歴史

この公園は元々ガウディが1900年~1914年に設計、建築した住宅街でした。ガウディのスポンサーだったグエルは、街を見下ろす山の手の土地に60Fの宅地を造成し、緑に囲まれた閑静なイギリス風の住宅街を造ろうとしました。ガウディによってデザインされ、正門から中央広場にかけてのパブリックスペースの建設が行われました。 公園では有名なベンチをはじめ、いたるところにタイルを用いた装飾が見られますが、これらの多くはガウディの協力者であるジュジョールの作品です。 ガウディが生み出した破砕タイルの技術により曲線をうまく覆い、かつ高い芸術性を生み出しています。しかしながら、 この宅地造成計画は、グエル家とガウディ家以外には1戸しか売れず失敗に終わりましたが、現在はすばらしい公共公園として人々に愛されています。

こちらはグエル公園の正面入り口の写真です。

入り口の右左の建物にはガウディ独特のデザインが施されています。

正面を入るとこの様な階段があり、上にバルセロナを一望できる展望台があります。

この階段の途中にはグエル公園のシンボルとなっているこちらのトカゲの像があります。

こちらは正面の展望台から見たバルセロナの街です。

こちらは展望台を横からみた写真です。

この公園を右に進むとサグラダファミリアが一望できます。こちらも私が撮影した写真です。

この公園のいたるところにはガウディの独特のデザインが施されています。これは歩く人を雨や日差しから守るひさし付きの道です。

こちらはガウディの家博物館です。グエル公園のモデルハウスとして、ガウディの協力者であるフランセスク・ベレンゲールが設計しました。しかし買い手がつかなかったため、ガウディが自ら買い取り、父親と姪をともなって移り住んだそうです。

丁度この日はこの博物館の前で絵を売っている方がたくさん出ていました。

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カタルーニャ音楽堂

19世紀末ガウディのライバルとして活躍した建築家がいました。その名はドゥメナク・ムンタネー

彼は建築学校の教授で、2歳年下のガウディに講義をしたこともあるそうです。

ドゥメナク・ムンタネーの代表作がカタルーニャ音楽堂です。

この時代のバルセロナは、産業の発展とともに人口が増加し、活気にあふれていました。そして経済力が備わるとともに、カタルーニャ文化の再生を目指す運動が起きます。そこで生まれたのがモデルニスモ建築です。

バルセロナの街を歩けば、いたるところでモデルニスモ建築に出合います。このカタルーニャ音楽堂もその一つです。ガウディは突出した人物ですが、この町に突然変異的に生まれてきたのではなく、当時の気風を表現した建築家の一人ひとりでした。

カタルーニャ音楽堂のある道に入る前に不思議なこの少女の像が立っています。

こちらがカタルーニャ音楽堂に続く道です。

見事なドゥメナク・ムンタネーの造形美です。

こちらは拡大写真。ここにもありますが、ドゥメナク・ムンタネーは花模様を巧みに表したので「花の建築家」と呼ばれていたそうです。

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ピカソ美術館

パブロ・ルイス・ピカソは、1881年スペインアンダルシア地方のマラガ市で生まれましたが、1895年、14歳の時にバルセロナへ移住、美術学校に入学しました。1897年マドリードで開かれた国立美術展で入選し、同年秋、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学しますが退学し、1899年、18歳の時にバルセロナに戻ります。

その後活躍の舞台はパリとなり、1902年にパリに移住、その後1973年に92歳で南仏ニースで亡くなるまでフランスを舞台に活躍しましたが、バルセロナとフランスを行き来していました。

バルセロナにあるピカソ美術館はピカソのスペインにおける自宅を改造してオープンしたもので、生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であるとギネスプックに登録されているピカソのもっとも多くの作品が展示されている美術館でバルセロナを訪れる方は是非行かれてください。

こちらはピカソが生涯に描いた作品の写しを壁一面に張った部屋です。ピカソがいかに沢山の作品を発表したかがよくわかります。

こちらはピカソの自画像です。

こちらはいずれもピカソの描いた作品です。この美術館の中では撮影は自由です。私が気にいったものを何枚かご紹介します。

こちらはピカソの陶芸作品です。

ピカソの作品はこの美術館だけでなく、バルセロナの街中にもあります。こちらをご覧ください。これもピカソの作品です。

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